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「村仲俊朗牧師が私たちに残してくれた主からの思い」

- 2007年8月5日 -

講師:水野 明廣 牧師
聖書箇所 伝道者の書7:1-2、Uテモテ4:7-8

 カナダで一緒に過ごしていた、村仲牧師が突然、召されたということで、私はうろたえていました。お医者さんに告げられた言葉が信じられませんでした。遺体を見ても今に声を掛けて下さるようでした。私にとって、実際の兄弟が失った時の、悲しみ、痛み、苦しみが交差しました。

 私が牧師になって間もない頃、献身して主の御用を始めた中谷姉妹というとてもあたたかい姉妹がおられました。彼女は大きな教会、集会を作るとは全く考えないで、老人の方、病気の人の事を思っていて、わざわざマッサージも勉強して、彼らを支えていました。私はすごいなと感動していました。ある意味で彼女は励ましでした。その彼女が、何とある老人の方の家に行った帰りにトラックにはねられました。彼女は病院で亡くなるまで、ベッドに横たわったまま賛美歌を歌っていました。

 また、溢愛館という施設を作った。私たちのグループの源である宣教師が、召された時も大きな衝撃を受けました。48歳でした。……私には理解できない事が、今日まで沢山ありました。今回もその一つだと思っています。村仲牧師の奥様から教会の皆さんへお便りがありました。お手紙には、奥様にしてみれば、「私がもう少し主人を思いやっていたら、あれをしていたらと後悔するばかり…」という言葉で結んでありますが、しかし一方で、「これは神様の夫に対する計画であったのでは、夫は、まさに走るべき行程を走り尽くして行ってしまったと私は思っています。ですからこの事実を受け止めています。今、夫は天で大好きな主への賛美をしていると思えば、私たちも残された命を走り続け、天国での再会を楽しみにしたいと思います。…」

 私は飛行機の中で、主よ、今度の日曜日は、何を語ったらよいでしょうか?と祈りました。私のメッセージは骨組みが出来ていて何ヶ月も前に用意していて、一、二年先までメッセージが出来るようになっています。でも今日は違います。今日は、村仲俊朗牧師が私たちに残してくれた主からの思い。と題して皆さんに語らせて頂きたいと思います。

 長男の俊樹君も日本から飛んできました。彼は、突然、一人だけ牧師館の地下の部屋に涙を流しながら走っていきました。しばらくして私の所に来て、葬儀の時に一言言わせてくださいと言いました。部屋の椅子に座って、「神様、何で?どうなってるの?」と言いながら聖書を開いたら、伝道者の書7章が目に映って、釘付けになったと。村仲牧師が召された時、次々と人々が訪ねて来るのです。お隣も来られました。あんなに良い人が、寂しいですと。

 私は、ルツ記の御言葉を思い出しました。ボアズは主なる神様の象徴です。ルツは外国から来た女で偶像を愛する女、ナオミの息子と結婚し、先立たれ、「お母さんの神様は私の神様、私はお母さんに仕えます」とついて行きました。ボアズは、ルツという女性が異国の女性でありながら、遠い国にやって来て、お義母さんに仕え、落穂拾いを一生懸命にして、その健気な、美しい、人に仕え、支えている姿を皆が見ている、あなたの評判は素晴らしいとボアズは感嘆します。誰もあなたの身を引き受けないなら、私が引き受けますと言いました。良い名声は大切です。

 葬儀の時に、どうぞ思い出を語って下さいとお願いしたら、何人もの方々が次々と語って下さいました。ある男性は、「私はクリスチャンではありませんが、妻がクリスチャンで、私たちは仕事の事で随分お世話になりました。事情があって、先生がご自宅に迎え入れてくれました。住んでるうちに、いつの間に私達がこの家の家主のように振る舞い、村仲先生御夫妻と立場が逆転してしまった。」という逸話の後、「あの方は、裏も表も無い方です。」と話されました。いつも受け入れて下さいますと。私たちクリスチャンは、神様から自由を与えられたので、神の喜ばれる選択をして行かなければならないのです。

 葬儀で伝道メッセージをしたわけではありませんが、奥様からの手紙にこうありました。「この度、3人の方々が洗礼を受けることになりました。私の所に、あの方がイエス様を信じたいと言ってます。」と。良い評判を村仲牧師は持っていました。お隣の人が葬儀に来られていました。カナダでは隣近所同士全然干渉しません。それ程こまめに気に掛け、声を掛けていたと思います。皆さんが亡くなった時にお隣の人が来るでしょうか?神に仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められます。(ローマ14:18)イエス様は神と人とに愛されました。(ルカ2:52)イエス様は、人々に慕われました。

 そして、宗教家の妬みのために引き渡されました。(マタイ27:11)私は尊敬しながら、ある意味羨ましいなと思いました。村仲牧師はこんな沢山の人々に思われているなんて凄いと。皆さん、そんな生涯を目指してください。私達が百人集まるよりも、もう一人イエス様を信じる人が起こされる。これに勝る天の喜びはないと聖書に書いてあるではありませんか。私は改めて、村仲先生という方は、まるで一粒の麦となって逝かれてしまった。村仲先生は、一緒に居て居心地の良い人です。一緒に居て疲れないです。人を裁く霊が無いです。批判的では無いのです。だから、未信者の人もご近所さんも葬儀に来られました。遠いところから、村仲先生によって自分はイエス様を信じることが出来たと駆けつけて来られた人もおられました。

 皆さんは、どんなものを残していかれますか?どうして生まれる時よりも死ぬ時の方が勝るのですか?生まれたときは、どうかわかりませんが、ご両親、親戚の人達だけだったかもしれません。しかし召される時にあまりにも多くの人に惜しまれて逝きました。終わりが大切です。アモス4:12には、主に会う備えをせよ。とあります。歳は関係無いです。人生は旅です。良い旅をしたいのなら、自分がどこに行くのかというちゃんとした行き場所をもっている事です。村仲牧師はそれを持っていました。カナダに行かれた時、確信を持って行かれました。実は、先生の母方の先祖で、日本としてカナダに初めて移住した人がおられるというお話をされました。主が召していらっしゃるので骨を埋める覚悟で行きますとおっしゃいました。皆さんを惜しむような人が一人でも多くいるようなそんな人生を送って行ってください。クリスチャンは、確かに誤解される事があります。それでも光であって、良い香りを放つ者であれば、気づいてくださるはずです。

 それぞれ違った人生、神様に等しく愛されています。走るべき道を走って行こうではありませんか。村仲牧師が、天で待っているよと私に語っているような気がします。主は、皆さんの罪を忘れ、愛の労苦を全て憶えておられます。私はよく村仲牧師の口から感謝の言葉を聞きました。そして人を責めない。愛をもって仕えておられました。私たちも感謝と喜びの心で、愛する心で仕えていきたいと願います。主に信頼すればするほど祝福されます。皆さんの家族に対しても祝福して下さると信じます。今日は、天に召された村仲牧師を通して主が語って下さった思いを語らせて頂きました。皆さんもそれを受け止めてこれからの人生を歩んでいきましょう。

2007年8月11日更新

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