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「豊かな人生とは恵みを味わうこと」

- 2007年9月2日 -

講師:水野 明廣 牧師
聖書箇所 詩篇34:8

 先週お話ししたのは、イエス様は、豊かないのちを私達に持って欲しい事とその大切さについてでした。イエス様は、いのちほど大切なものはないという事を説明するために、全世界の富を集めてもいのちには代えられないという事をおっしゃいました。永遠のいのちとヨハネ3:16にあります。永遠のいのちこそ豊かないのちです。このいのちを与えるためにイエス・キリストが来てくださったのです。私たちの行いではなくて、イエス様を信じるだけで、皆、救われ永遠のいのちを受け取ることが出来ます。

 私が、教会に来始めた時に、牧師先生に向かってよく反論していました。そんな中、祖父が車にはねられ、病院に行くと、「死にたくない。苦しい」と叫んでいました。そんな凄まじい光景を見て、私は信じるほうを選ぶようになりました。ダビデは、「主に身を避けるのは幸いです」と言いました。しかし、T歴代誌21:1には、サタンがダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせたと書いてあります。悪い思いは、大抵、悪魔が持ってきます。御霊の思いは、いのちです。盗む者も働いています。(ヨハネ10:10)ダビデは、自分の拠り所は、人口の多さではなかった、武力でもなく、財産でもなく、主にだけ信頼していました。ところがある時、人口調査を命令しました。彼の心には下心があり、主ではなく軍隊を誇ったのです。反省と悔い改めの中で彼は言いました。「ある者は、戦車を誇る、ある者は馬を誇る。しかし、私は主の名を誇る」と。

 私はこのことを通して、主に信頼するということの大切さを学びました。私を救うために、主は命がけで私を愛し、いのちまで捧げてくださいました。人間は、自分の大事なものに対し、狂ったようにお金を使います。イエス様は私達の人生が、罪に汚れたいのちで終わってほしくありません。ご自分の命を継がせたいのです。永遠の命を持って欲しいのです。

 ある人には、イエス様が自分を愛して下さり、自分のために死なれた・・・といっても、なかなかこの自分のために格別な愛を注いでいらっしゃるという意識、経験がない・・・・という方がいらっしゃいます。

 私は祈っているうちに、ある事を示されました。イエス様が群集を前にして、男の人だけで5千人です。女性や子供を含めると凄い数になります。そういう人々に素晴らしいお話をされ、素晴らしい務めをなさいました。その後、イエス様は、カペナウムを通過してガリラヤ湖の反対側にある異国に向かいます。誰がそこにいたでしょうか。皆からはじき出されて、悪霊に憑かれていて、墓場を住まいとして、自分の体を傷つけているような人でした。

 イエス様は、この一人のためにわざわざ来られました。イエス様は、大勢の群集を前にして素晴らしい御用をされるお方です。しかし、イエス様の関心は、一人ひとりにあります。サマリヤの女についてもそうです。ユダヤ人が軽蔑しているサマリヤ人のいる所に、イエス様が行ったのは、何のためだったでしょうか。一人の女性のためです。この女性は、何度も結婚したのか、同棲したのかわかりませんが、スカルの町で罪深い女として知られていました。皆から白い目で見られていました。暑いときには普通の人は水を汲みに行かないのに、この女性は人目を避けて水を汲みに行きました。わざわざイエス様はそんな時に来られたのです。イエス様は彼女の本当の渇きをご存知でした。会話をしているうちに、彼女はイエス様をメシヤと呼びます。彼女はイエス様に出逢った感動で、村に行って語り、そして村中の人たちがイエス様を信じるようになったのです。

 嫌われ者のザアカイには、イエス様は責めることなく、「今日、あなたの所に泊まるよ。」と声をかけてくれました。私たちは罪に苦しみ、劣等感に苦しみ、認められたい、愛されたいと願うときがあります。そんな時こそ、主を知ろう、主を知ることを切に求めましょう。

 パウロは、神を知るための知恵と啓示の御霊を与えてくださいますようにと祈りました。(エペソ1:17)本当の豊かさは、主の恵みを知っていることです。”…真理の御霊が来るとき、その御霊が私についてあかしします。”(ヨハネ15:26)聖霊様は私たちを教えます。聖霊様に満たされ、導かれるという特徴は、主に夢中になることです。イエス様がどんなに恵み深いか味わい知る事が出来ますように。事業が成功して、素晴らしい家庭を持っていても、自慢の体力、能力があっても、それを拠り所とせず、主が私の拠り所だと悟りましょう。「幸いな者よ。主に身を避けるものは。」皆さん、幸いな者になれるのです。主の恵み深いことを味わい、それをしっかり見つめる生活を送られますように。

2007年9月5日更新

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