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「主の教会の大切さを知っている」

- 2011年1月2日 -

講師:水野 明廣 牧師
聖書箇所: エペソ1:20−23

「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」

皆さんは、教会、クリスチャンとはどんな意味があると思いますか?聖書の中では教会は家の教会を指す場合もありますが、ほとんどの場合は地方教会を指しています。まず教会がどんなに大切かを知るために次の御言葉を読みましょう。

●使徒20:28
「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」

●エペソ3:10
「これは、今、天にある支配と権威とに対して、教会を通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、」


皆さんは政治や経済の世界に翻弄されているかもしれませんが、それらの背後にある権威に一番力を持つのが教会です。しかし教会はどんな人々の集まりでしょうか。旧約聖書でダビデは、詩篇の23篇や27篇で「私のいのちの日の限り、主の家に住むことを…」と願っています。それは本物の人間を感動させる魂の臨在が主の宮にあるからです。

●詩篇96:6
「尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。」


クリスチャンが一緒に集まって主を賛美する時、そこに主の栄光が満ちます。ヘブル人への手紙には「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」(10:25)とあります。教会という言葉は、同じ目的のために集められた者、という意味なのです。エペソの2章21、22にも「共に組み合わされて」とあります。

キリストがいのちがけで愛していらっしゃるのが教会です。キリストの体を苦しめることは教会を迫害することです。教会はキリストの花嫁です。私は、健全な教会は50人から100人程度の組からなる教会だと思っています。何故でしょうか。それは、四福音書の全部に書かれているイエス様の奇跡がただひとつあります。イエスさまが五つのパンと二匹の魚を取り、祝福し、人々が皆満腹したという奇跡の話です。この時イエスさまは50人から100人ほどを一つの組にされました。また、出エジプトの際には一晩で羊を食べつくし、食べつくした家だけが災いに遭うことがなかったとあります。子羊一頭を一晩で食べつくすには、50人程度の人数が必要です。このようにイエス様がよきミニストリーをなさるのは50人から100人単位だと思います。この世の見方ではなく、主が愛された教会を共に愛して行きましょう。

2011年1月5日更新

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