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「恵まれた幸いな人は(25)」 (教会の徳を高める人)

- 2011年3月6日 -

講師:水野 明廣 師
聖書箇所: エペソ3章19-21節

「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」

 人間的に平凡で、私は何もできない、と言っている人を主は用いられます。人は自分で何かができると思ったとたんにずっこけます。クリスチャン生活でよい事は、私たちがメインで登場はしないのです。しかし、『仕えます』というスピリットは必要です。仕える時に主は誰でも生かされ、用いられます。皆さんに賜物があります。

 パウロは牢獄の中から手紙を書きました。今日の御ことばの最後の節、「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」・・・・これは、とても重要です。天と地を創造された神は、神の偉大さをキリストによって現そうとしておられます。ですから、「キリスト・イエスにより」とあるのです。

 イエス様もヨハネの福音書17章1節で言われました。イエス様ご自身が、神の栄光を現すために罪の世界に来られたと。キリストは神の栄光そのもの、キリストの本質的な栄光は、ヨハネの福音書12,13章に書いてあります。「栄光を現させて下さい」・・・・それは、ご自分の命を捧げて神の栄光を現すということです。人間は自分がほめられることで栄光を現したいと願いますが、神様の栄光は次元が違います。イエス様が栄光を現すということを、私は抵抗なく聞いていますが、このエペソ書の御ことばでは「キリストにより」の前に「教会により」という言葉が入っています。

 しかし、中世、人々は教会を造る時にとんでもない教会を造り始めました。ヨーロッパに行くと豪華な寺院があります。教会の建物で栄光を現そうとして、惜しまず富を捧げているのです。しかし、聖書の教会とは、私たちが神の住まいなのです。神の住まいとは、神の賛美の場所です。クリスチャンひとり一人は金や銀などより遥かに尊いのです。キリストの流された命の代価を持って買い取られたこの兄弟姉妹が、生ける石となって神の住まいとなるのです。しかし、建物がなくていいというわけではありません。無教会主義ではありません。イエス様は、集まることをやめてはならないと教えられました。第1ペテロ2章5節にあるように、生ける石となって共に神の霊の住まいとなるのです。

 本来、神の住まいというのは、クリスチャンが集まることです。イエス様は私たちが愛し合っていれば、一番居心地良く感じられます。かしらはイエス様で、体が教会です。歴史を見ると、ユダヤ人の方が教会でつらいしうちを受けました。教会でひどいことをされたという話を聞くほど辛いことはありません。そのことで一番苦しまれたのはイエス様に違いありません。

 教会はイエス様の体です。ですから、教会が苦しめばイエス様に向けてとんでもない態度を取ることなのです。教会はわたしの愛する花嫁だとイエス様はおっしゃいます。私は自分の妻を愛するので妻が痛めつけられれば苦しみます。ですから、牧師たちが教会の問題ばかりを指摘することはやめなければなりません。教会はキリストの花嫁ですから、代わりに問題の解決、祝福、そしてそれが神の栄光に変わるように祈らねばなりません。祈りしかできないと言われる人がいますが、祈りこそ、神の恵みの御手がおりる最高の力なのです!

 背後で家族の為に守りと祝福を祈って下さい。家族を大切にして下さい。エペソ3章14節のみことばで、「こういうわけで、私はひざをかがめて、」とありますが、これはイエス様が祈っておられます。肉は世の影響を受けても、内なる人はイエス様により新しい人が強くされています。

●ハガイ2:5 「あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。」

 イエス様を知れば知るほど、強くなれます。まさしく、聖書に書いてあるとおりです。

●Tコリント2:9 「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮んだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

 願いや思いを遥かに超えて働いて下さっているお方です。願いが大事であり、願いや思いが発端なのです。あなたの心を見張れ、そこから命の泉がわく、とあります。イエス様が来られたのは皆さんに豊かなクリスチャンライフを生きてもらうためです。しかし、盗む者も働いています。心の中や思いに来ます。しっかり心を見張って下さい。

 そして、良い願いを大事にして下さい。私たちは神の尊厳の中に生かされている神の子供なので、神は私たちの願いや思いを踏みにじっては働かれません。「求めよ、そうすれば与えられます。」あきらめず、執念深く願って下さい。良い願いを大事にして下さい。教会はキリストの花嫁ですから、自分がしみのない人になっていきましょう。イエス様は皆さんの信仰に働かられます。

 ある日、ハワイのウェイン・コデーロ師は私に言われました。「水野牧師、尊い言葉を言うようにしなさい。」評論や批判をしあうのではなく、祝福しあいましょう。

 申命記でレビ人が神様の働きに召された、とありますが、それは私たちクリスチャンのことです。私たちは神の良い作品であり、回りの方も主に愛された大切な作品です。完璧な人はいません。忍耐しましょう。良い思いを守り、教会がキリストの香りを放ち、病の癒し、心の辛さ、痛みが癒され、主の栄光がありますように。キリストが私をご覧になるように自分を見ましょう。

2011年3月11日更新

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