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「恵まれた幸いな人は(34)」

- 2011年5月15日 -

講師:水野明廣牧師
聖書箇所 エペソ4:32〜5:2

「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」


 今日のテーマは「愛と赦しに生きる」です。イエス様は私たちを愛するために、ご自身をなだめの供え物とされました。すべての人間が一度死ぬこと、死後にさばきを受けることが定まっています。(ヘブル9:27)私たちは、罪のために神の怒りからのがれることのできない者でした。

 しかしイエス様が裁きを受け、罪の責めを負ってくださったので、イエス様を信じる者はだれ一人、神の怒りにあうことはありません。これが福音です。あまりにも素晴らしいことなので、私たちの理性では理解できません。聖霊の助けによってのみ悟ることができ、また体験させてくださるのです。私たちの実生活において、主が生きて働いておられる現実を聖霊が私たちに明らかにしてくださいます。

@ 赦しは神に属することです。人は完全に赦すことができません。神の赦しは、私たちの犯した罪を二度と思い出すこともない完璧な赦しです。

A 赦しには大きな犠牲が伴います。赦しは簡単なことではありません。イエス様が十字架で血を流しながら「父よ、彼らをお赦しください。」と叫ばれたように、苦しいことです。ある方は「赦すくらいなら死んだほうが良い。」

と言っていました。そのくらい深く傷ついています。「赦しなさい。」と簡単に言えません。

 しかしそれでも赦しを選ぶ時、主は助けてくださいます。人に利用され、裏切られても、そのことでもっと主に向かってください。そして「私の拠り所はイエス様だけです。」と告白して下さい。神は私たちを愛しておられます。私たちのためにすべてを益と変えてくださいます。

 赦しが難しい理由は

@ 理不尽で合理的でない。赦したら相手が反省しない。
A 告発する霊が働いている。誰かを、また自分自身を責めるサタンの力が背後に働いています。

●黙示録12:10 「そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。」」

 日本の社会には人を責め、批判し続けるという風潮が流れています。この悪循環を断ち切るためには赦しが必要です。教会や家庭の中にも相手を責める霊が入り込んでいます。本当は感謝しているのに、つい文句ばかり言ってしまってはいないでしょうか。後になってもっと「ありがとう。」と感謝の言葉を言っておけばよかったと、後悔することのないようにしたいものです。

 赦しの愛は喜んで惜しみなく与えるものです。自分の命を削って与えるのです。自分が死ななければ赦せません。砕かれれば砕かれるほど赦すことができるようになります。イエス様が私たちのために死んでくださったので、ただ恵みによって赦され、救われて、神の子とされました。私たちは父なる神様に愛されている神の子です。イエス様は「父よ彼らを赦してください。彼らは何をしているのか分からないのです。」と私たちのために祈ってくださいました。

 主はこの恵みを受けた私たちを通して、人々に愛と赦しを流そうとしておられます。「イエス様の赦しをなさせてください。」と祈りましょう。主は人を裁き罰することなど望んでおられません。むしろ赦して、立ち直らせ、回復させようとされます。悪いことは益に変え、もっと祝福しようと願っておられます。主がこれほどまでに私たちを愛してくださっているのですから、こだわりを捨てて、赦しを選ぶことを決心しましょう。完全な赦しは神にしかできません。決心してもすぐに解決することでないでしょう。聖霊の助けを求めて、祈り続けてください。そして相手の祝福と成功をも祈って下さい。人々の救いと幸い祝福を願って祈り続けましょう。

2011年5月19日更新

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