「彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
私はある時、この御言葉を通して、私がクリスチャンに対して言った事した事を軽く考えていた事に気づかされまた。イエス様は弟子たちを私の母、兄弟と言われ、私の兄弟にしたのは私にした事だと言われました。
●マタイ12:48,49
「それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」
という事は、私の周りにいるイエス様を信じている方への言動はイエス様にする事と同じであり、私が兄弟を苦しめ痛めつけるならイエス様を苦しめている事になるのです。
パウロは教会にした事はイエス様にした事であると知っている人でした。弟子を教え、励まし、慰め、一生涯を教会に仕え捧げて人生を終えました。教会はキリストの体であり、私達は各器官なので、相手を自分よりすぐれた者であると思いすべての人に善をなして仕え合っていくように言っています。
●Tコリント2:27
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」
●ガラテヤ6:9,10
「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。」
●ピリピ2:3
何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
私達は一番身近にいるクリスチャンに対してどうでしょうか?まず自分の夫、妻、親子の中にキリストの愛を表してみたらどうでしょうか?イエス様と同じ大切な人です。夫が妻が問題なのではなく、この世の主権者の罠にはまった自分が問題なのです。サタンはあなたから非難の言葉が出るように働いています。私達が謙遜になって人々に愛をもって仕えていく時、人々は心開いてくれます。忍耐してキリストの愛を流していく中で、整えられていきます。
恵まれたクリスチャン生活というのは、私達がお互いにキリストの体として、重んじ、仕え合っていく事の中で達成されていくのです。
●ピリピ3:13,14
「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」
私は教会がいつも憩いの場、癒しの場、楽しい所である事を願っています。私達が互いに愛し合っていく中に神がおられ、主が何かをなさるのです。お互いを大切にする生き方を貫き、先のものに向かって進んでいきましょう。
2012年2月4日更新