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「ヨハネの福音書11:1〜44 B」

- 2013年8月11日 -

講師:竹田 亮一 師
聖書箇所:ヨハネ11:32-33

 「マリヤは、イエスの所に来て、お目にかかると、その足元にひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人も泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、・・」

 イエス様が「霊の憤りを覚え」られた、とあります。なぜ霊の憤りを覚えられたのか。私が思います一つは、ユダヤ人の伝統では、葬儀の時どんな貧しい人達でもフルートを奏でる人を二人、泣く人を一人雇い大きな声で鳴き参加者も泣きます。この時もこのようなイベント、問題に流されている人々の状況を見て、憤りを覚えられたのではないか。なぜなら弟子たちでさえ、問題が起こるとその問題に捕らわれて本質が見えなくなる傾向があったからです。オズワルド・チェンバーズの言葉に「神様が私たちを聖霊によって神様の次元に上げて下さって神様が何を見ておられるか見えるよう祈りなさい。」とあります。大切な祈りだと思います。私たちも神様の視点から見、御こころをなす者でありたいです。
 
 もう一つ、ひとりの姉妹が「罪に対し死が入ったわけですから、この罪に対して憤りを覚えられたのではないか」と言っていました。確かにそれもありこの二つだと思います。ラザロの死は神の栄光のためでした。神中心であり、人中心ではありません。

 すべては神中心でありご自分の栄光のためにすべての事をなしておられると聞きますと、日本は縦の社会ですから、極端な考えをするなら、神様の栄光のために人間を利用しておられると思うかも知れません。絶対にそうではなく、私たち人間は神の愛のただ中にあり言葉に表す事が出来ない程の、一人子を与えて下さった程の愛に包まれているのです。あまりの偉大さに、小さな人間には神のご計画を理解する事ができないのです。

 アップル社の創立者スティーブン・ジョブス氏が「人生は将来に向かっては点が繋がらない。点が繋がるのは過去を振り返った時に繋がる。」と語っていますが、確かに過去のすべては現在にそして未来に繋がり無駄な事は一つもなく、ジョブス氏が発明したpcはアルファベットの習字がきっかけで「会社が大きくなった原因は自分が習字を学んだ事が大きい。」と言っているそうです。彼はクリスチャンではありませんでしたが、この小さな点が大きな繋がりとなっています。私の人生も振り返った時、今アメリカで牧会していることは過去の小さな事柄の集大成であり神様の導きである事を思わされます。一つ一つの点に神様は確かに働いておられたと思います。
 
 イスラエルの歴史の中で、神様はイスラエルに度々奇跡を行い、また敵から助け出されました。その度にイスラエルは必ずその事を記念して、そのしるしとして記念碑を造っています。それを後世に残し、神の成された御業を忘れずいつまでも神様を畏れあがめています。私たちも事ある毎にしるしとして記念日、品等を置き、神様がしてくださった事を思い感謝し、それを力として喜びを持って生きていくと良いと思います。
 
 私たちは誰でも神様のみ心を歩みたいと思っていると思います。しかし御こころが解らない。私たちがトロントの教会を辞めて右か左かと迷っていた時、ある人が「神の前に悔い改めるべき罪がなければ、神との関係は良いのですからあなたが願っている事をしなさい。」と言われ、気持ちが解放された経験があります。皆さんの中に心の願いがあり大きな罪がなければ、あなたの賜物を活かすものであるなら御こころとして進んでいく事を勧めます。神様は右であっても左であっても祝福して下さいます。(詩篇1:1~3)

 信仰と、信頼は全く同じです。信頼がなければどうしてついて行く事が出来るでしょう。信頼してついて行くためには神についての正確な知識が必要です。信仰の生活は単独では絶対やっていけません。神と自分だけでは絶対歩めません。アブラハムの時から、神様は一つのコミュニティーを考えておられ一緒に歩んで行く事をさせておられます。必ず、疲れ、失望する時があります。その時助け合う事が絶対必要です。イエス様もくどいほどに言われました。「互いに愛し合いなさい。」と。ヨハネも言いました。「神様はあなたのために命を捨てられたのですからあなたもそうしなさい。」と。

 忠実な信仰生活はどこから始めるのでしょう。お互いに愛する事からではないでしょうか信仰生活、結婚生活、家庭生活は一人では出来ません。お互い支えあって生きるべきです。 今の時代これからの子供たちが出会う問題に対して、家族が、他の家族が連携して助けていかなければやっていけないです。教会は神の家族です。助け合って神の栄光を表わしていきましょう。

 神に選ばれた私たちは神をほめたたえる為に予め定められているのです。神のために何か素晴らしい事をして栄光を表わすというのではなく、生きている事自体が栄光を表わしているのです。ハレルヤ!

2013年8月25日更新

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