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「徳を高め」

- 2014年4月6日 -

講師:水野 明廣 師
聖書箇所 ローマ15:2

「私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。」

 人の徳を高めるとはどのような意味でしょうか。それは相手の価値を高める、相手の値うちを高くするという意味です。神様は私たちの価値をとても高いものとして見ておられます。クリスチャンにとってけんそんは大切なことですが、もしも皆さんが価値の無い者であるのにけんそんであったとしてもあまり意味がありません。価値のある人がけんそんの態度を身に着け、知っているときに初めて「けんそん」は意味を持ってきます。

 私はローマ人の手紙を学んでいる中で、アブラハムの信仰について学んでいる内にどうしても理解できず無いことが出てきました。ローマ人の手紙の4章の中でパウロはアブラハムを信仰の模範として、彼がいかに信仰に堅く立って歩んだ人であるかを書いています。しかし、創世記を実際に読んでアブラハムの事を勉強するとローマ人との手紙に書かれている姿と実際の彼の歩みに大きなギャップがあるのです。彼はエジプトに行ったときに自分が助かるために奥さんを差し出しました、それも一度ではなくもう一度同じことを別の国でやるんです。また彼は子供が与えられるという約束を待ちきれずに女奴隷との間に子供をつくってしまいました。これほど沢山の失敗を繰り替えし、不信仰であった彼が新約聖書の中では信仰の模範として、素晴らしい信仰の人として描かれているのをどのように理解してい良いのか分からずに祈ったのです。すると、主が祈りの中で教えてくださったのは、神様は私たちの事を非常に高く評価していて下さっているという現実です。皆さん、もし今日私たちがイエス様と直接言葉を交わすことが出来るとしたら、きっとイエス様は私たちのことを認めてほめてくださると思いますよ。

●…もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。(1ヨハネ2:1)

 イエス様は私たちを弁護しておられます。それと反対に、サタンは私たちの過ち、失敗を持ってきて告発し、私たちの足を引っ張る者だと聖書は教えています。イエス様は私たちに喜びの歩みを与えたいと願っておられます。私たちが神にあってどのような存在であるか、愛されているのか、価値ある者かを知ってほしいと願っておられるのです。

●あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(2コリント8:9)

 私たちが人の徳を立てるためにできる働きは祈る事です。家族のために、友人のために祈ってください。祈りは人間にとって最高の仕事であり、賜物の一つです。私たちは人のために祈る事によって人の徳を立てることが出来るのです。聖書は異言で祈る事によって自分の価値を高めることが出来、預言することによって人の価値を高める事が出来ると語っています。成熟したクリスチャンとは人の価値を高めるクリスチャンです。私たちが人の徳を高めていくとき、それは自分の徳を高めることにもつながる事を良く知っておく必要があります。

●あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。(マタイ20:26)

●人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(マルコ10:45)


人の徳を高める事は結局自分の徳を高めることにつながります。私たちはますます成熟した者として、人の徳を高める言葉、生き方を選んでいきましょう。

2014年4月29日更新

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