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「家の教会も大切」

- 2014年5月18日 -

講師:水野 明廣 師
聖書箇所 ローマ16:3-5

「キリスト・イエスにあって私の動労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会感謝しています。またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。」              

 聖書には二種類の教会が書かれています。一つは、色々な所から人々が、ある町のひとつの場所に集まってくる地方教会、もう一つは、ある家庭でもたれる家の教会です。イエス様が人々にお話しされる時も、半分はどこかの家庭に入って、お話をされました。人々から嫌われ、疎外されていたレビ(マタイ)や、ザアカイの家に行かれ、食事を共にして、親しく交わりをもたれました。パリサイ人たちは、イエス様が、取税人や罪びとと食事をしているのを非難しましたが、それに対して主は、「医者を必要とするのは、丈夫な者ではなく病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」と答えられました。(マルコ2:17)イエス様は、罪人を探して、救うために来られたのです。何のために私たちは救われたのでしょうか?主は私たちを用いたいのです。

●あなたがたが、わたしを選んだのではありません。わたしが、あなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネ15:16)

 主は、私たちが教会で、主を慕い求めて礼拝することを喜ばれます。しかし主は、教会でだけでなく、家庭でも同じようにしてほしいと願っておられます。なぜ、主は人々の家に行かれたのでしょうか?それは、家が、私たちのありのままの姿が見えるところだからです。私たちは、教会でだけなら、取り繕うことができるのです。

 日本人は、恥の文化なので、人を家に招くことが苦手です。家の教会では、生活すべてが見えるので、日常生活でみことばを実行しているかどうかが明確に分かってしまいます。それで、家の教会を始めることに、大きな壁があるのです。しかし、これを実行するなら、必ず何かが起こります。

 “わたしのこれらのことばを開いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。”(マタイ7:24)

 家庭でも、みことばを聞いて、行ってください。一人でいると気づかない色々な事が、クリスチャン同志が一緒にいることで見えてきます。

●鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(箴言27:17)


 私たちは、組み合わされ、結び合わされて、成長します。賢いクリスチャンは、どこででもみことばを実行します。夫婦が手を取り合って祈れたら、どんなに祝福でしょうか。家でも職場でも、誰かと一緒に祈るなら、あなたが、そこで祝福となります。少し気をつけて、周りを見渡せば、あなたを必要としている人がいるのです。家の教会でこそ、私たちは互いに励まし合い、仕えあうことができます。二人三人が集まることによって、人間の健全な必要に答えることができます。

4つの必要
@平安、安心、安らぎ A愛情、思いやり、励まし B生きる意義、生きがいC明確な身分と所属

 イエス様は、ひとりの人をとても大切にされます。イエス様は、たった一人のために、かなりの時間を使われました。私たちは、ひとりの人のために、時間をかけて、真心から仕えることによって、成長します。家の教会をしてこそ、本物の成長があるのです。簡単なことではありません。現実的な問題が色々と起こってきます。しかし、その中で私たちは砕かれ、謙遜に仕えることを学ぶのです。聖霊様の助けによって、みなさんの家が家の教会となりますように。いつでもイエス様を喜んでお迎えする家となりますように、お祈りします。

2014年7月28日更新

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