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「神の使命を全うする」

- 2014年11月2日 -

講師:神戸 聖志 師
聖書箇所 Iコリント 10:31

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」

 今日は皆さんと一緒にエステル記4章から主の使命を全うするということについて考えてみたいと思います。

⒈ 私たちに与えられている使命
 エステルがペルシャにおいて神による特別な使命を伴って王妃となったのと同じように、福音を信じてクリスチャンとなった私たちにも主からの特別な使命が与えられていることを皆さんはご存知でしょうか。主は地上において、全てのクリスチャンに対してご自分が与えられた使命の内に生きる者となって欲しいと切に願っておられ、聖書を通して私たちにそのことを語っておられます。

 第一に、主は全てのクリスチャンに対して福音を宣べ伝えるようにと命じられました(マタイ28:18-20、使徒 1:8)。これは全ての時代の全てのクリスチャンに対して命じられている命令で、全てのクリスチャンに課せられた使命です。私たちは必ず誰かから福音を語られ、それを聞いて信仰を持つようになりました。そしてキリストの福音を信じたクリスチャンは自分がされたのと同じようにまだ救いに与っていない人たちの所へ行って福音を語るのです。私たちが福音を語ることはイエス様の再臨のための道備えでもあります。イエス様はご自分がいつ再び戻ってこられるかその日を明確に教えることはしませんでしたが、マタイの福音書24章の中で、御国の福音が全世界に伝えられ、全ての国民に証しされ、それから終わりの日、すなわちもう一度主が地上に戻って来ると言われました(マタイ 24:14)。主の再臨のための道備えとして、クリスチャンには御国の福音を宣べ伝える使命があるのです。

 主が私たちに委ねておられるもう一つの使命があります。それは、人々のために、またこの世界のためにとりなし祈ることです。1ペテロ 2:9には、クリスチャンは王である祭司と書かれています。旧約の時代にモーセの幕屋で仕えていた祭司たちの仕事は、人々が持ってくる捧げ物を人々に代わって捧げ、罪の赦しのためにとりなし祈ることでした。民のためのとりなしこそ、祭司に与えられた特別な務めであり、今や王である祭司となったすべてのクリスチャンに委ねられている務めでもあります。私たちは、この地上において御心が天でなるごとく地でもなるように、絶えずとりなし祈るようにと召されているのです。

 神様は地上においてこれらの務めを果たさせるために私たちを救いへと招き入れてくださいました。主の私たちに対する御心とは、まず人々が主イエス・キリストを信じることによって救くわれて主なる神様との愛の関係を回復させ、救われたクリスチャンたちが地上において主の御心を行い、主の栄光を表す器として用いられていくことなのです。これらの主の使命を果たす者となるために私たちが持つべき態度・姿勢についてエステル記4章から考えてみたいと思います。

⒉ 使命を全うするために
主からの使命を自分に関わることとして受け止める
 エステルは最初にモルデカイからユダヤ人を滅ぼす法令について聞き、この法令に待ったを掛けるように王様に直接願って欲しいと自分の使命についてモルデカイから語られた時に何と言ったでしょうか。

 彼女は自分に委ねられた使命のために立ち上がることを恐れ、その願いを断ろうとしたのです。彼女は命を失うことを恐れました。エステルは自分が置かれている現状を見て、彼女がその使命のために立ち上がる時に障害となる様々な要素を見て恐れ、その妨げとなる事実の一つ一つをモルデカイに提示して見せました。何よりも、彼女がこの使命に立つことを困難にさせていたのは、「自分はユダヤ人であるけれどもこの国の王妃であり、そんなに危険な橋を渡らなくても自分は命が助かるのではないだろうか」という自分とは関係無いという思いであったようです。エステルは自分に対して課されていた使命を果たすことを躊躇したのは、その使命を果たすときに払わなくてはならない犠牲を恐れる心、そして、自分に被害が及ばないのなら自分には関係無いという考えでした。しかし、モルデカイはそのように及び腰になっているエステルに対してハッキリ、「それが自分と関係の無いことだと思うな。あなたはこの時ユダヤ人を救うためにペルシャの王妃になったのだ。もし、あなたがこの時にあなたの使命を全うすることから逃げるのなら、あなたはあなたが最も失いたくないと願っている命を結果として失うことになるだろう」と諭したのです。同じように聖書は私たちに対してハッキリと語っています。「私たちがクリスチャンとなったのはただ救われて永遠の命を受けて、後はこの地上において自分の好きなことをして暮らして、これで死んだ後も大丈夫だと安穏と生活するためでは無い。私たちがクリスチャンとなったのは、私たちが主なる神様との関係を回復するためであると同時に、主の栄光をこの地上において現すためであり、主の栄光は私たちが福音を宣べ伝え、主のためにとりなし祈る時に現れるのだ」と。モルデカイのこの叱咤とチャレンジを聞いたエステルはどうしたでしょうか。エステルは、彼女に委ねられたユダヤ人の命を救うという使命を自分自信に関わることであるとハッキリと悟り、それを自分の使命として受け入れました。私たちが主の使命を果たすためにまず必要なことは、私たちに主から委ねられている使命、福音を証しする事ととりなしの祈りを捧げる事は自分自身に関わること、自分自身のことであると真剣に受け止めることです。

 自分の使命を自覚して受け止めたエステルが次にしたことは何だったでしょうか。それは、自分が握っていたもの、拘って握りしめていたものを与えられた使命を果たすために手放したということです。私たちが主の使命を実行しようとするときに、必ずそのために手放さなくてはならないものがあるという現実に直面します。ある人にとってそれは、自分の自由になる時間かもしれません、ある人にとっては人からの評判かもしれません、またある人にとってはお金かもしれません。しかし、私たちが本当に主のために立ち上がる時、そこには必ず犠牲が伴うことを知らなくてはなりません。

●私たちの中でだれほとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もしう死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちはしゅのものです。(ローマ 14:7-8)

 私たちはイエス様の十字架の死と復活によって贖われたものです。贖いとは代価を払って買い戻すという意味で、私たちはイエスキリストの死と復活によって主によって買い戻されました。そして、 私たちが救い主、イエス・キリストを信じて受け入れた時、私たちの人生は主の所有するものとなったのです。多くのクリスチャンはその事を知っていて、だからこのローマ書の御言葉を読んでアーメン、その通りですと言います。ところが、実際にこの御言葉の内に歩もうとするとき、私たちは自分の命よりも大切なもの、命よりも拘っているものがあることに気がつきます。しかし、もし私たちが本当に福音を証しすること、世界のために、イスラエルのためにとりなし祈ることは自分に関わることである、自分に委ねられた使命であると真剣に受け止めているなら、私たちは自分の祝福のために主に仕えてもらうという姿勢から、主の栄光のために仕えたいと立ち上がり、これまで握りしめ、拘っているものを主のために手放すことが出来るようになっていきます。

●いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。(マルコ 8:35)

 エステルは自分の命を彼女自身の使命のために手放すことを決心しました。そしてその結果、エステルは彼女の使命を全うすることによって同胞たちの命と自分の命を救ったのです。同じように私たちも自分の利益のために握りしめているものを主の前に手放し、主の御心を実行していくときに初めて私たちが本当に欲している豊かな祝福の内を歩むものとなることができるのです。まさにマルコの福音書の中でイエス様が言われている通りです。私たちは主のために自分の願いを一度置き、主の御心を実行するときに初めて主の勝利と祝福を経験し受け取る者となっていくのです。

 人々からの支援を求め、他の人々もエステルと共に立ち上がったエステルは自分の使命を真剣に受け止め、そのために自分の握りしめているものを手放してその使命を全うすることを決意しました。そして彼女はシュシャンにいる全てのユダヤ人たちに自分のために断食をもって祈り支えるようにと助けを求めたのです。彼女は、この使命を自分一人で負おうとは考えませんでした。それは、一人で負うにはあまりにも大きなことだったのです。エステルは自分がこの使命を果たし、ユダヤ人の命を救うことが出来るように霊的な支援を求め、またその要請を受けたユダヤ人たちもエステルの使命を自分の使命として受け止めて祈り支えたのです。
 主はエステルに対して特別な使命を与えられましたが、それをたった一人で背負い込み、行うようにとは意図されていませんでした。むしろ、エステルとシュシャンにいるユダヤ人たちが共にこの使命の内に立って行ったからこそ、彼らは最終的に勝利を得ることが出来たのです。私たちが主から委ねられている使命も、それぞれのクリスチャンが一人で背負い込み、行うことを主は意図されていません。むしろキリストにある兄弟姉妹たちが主のために立ち上がり、互いに支え合ってその使命を全うすることを願っておられるます。事実、パウロは手紙の中で何度も自分が語るべきことを語ることが出来るように祈ってくださいと祈りによる支援をお願いしてます(コロサイ 4:3-4、エペソ 6:19-20 etc…)。主の使命のために立ち上がっている兄弟姉妹のために覚えて祈ること、その働きを実際に助けることを通して、私たちはクリスチャンライフに集う兄弟姉妹と共に主の使命の内に歩むものとなることが出来、そして共に主の御心を行うことを通して得られる喜びを分かち合うことができるのです。

2014年11月7日更新

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