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「ヨナの心」

- 2015年10月25日 -

講師:神戸 聖志 師
聖書箇所:伝道者の書 7:13-16

「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。私はこのむなしい人生において、すべての事を見てきた。正しい人が正しいのに滅び、悪い者が悪いのに長生きすることがある。あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。」      

 ヨナのストーリーとても有名ですね。ほとんどの方がご存知だと思いますが、ところどころ突っ込みを入れながらヨナ書全体のストーリーをざっと見て、ヨナという預言者の心に皆さんと注目していきたいと思います。
 
 ヨナ書の最初は神様が預言者のヨナに対してニネベという街に行って滅びの宣告をせよというヨナに対する働きの召命から始まります。ニネベは当時のアッシリア帝国の首都である街です。アッシリアはイスラエルと敵対関係にあった国で神様はイスラエルの敵国へ行って来なさいとヨナを彼の敵国への遣わされたのです。しかし、ヨナはその使命に逆らってタルシシュへ逃げようとしたと書かれています。タルシシュとは今のスペインの南端あたりにあったと言われている街です。方角としてはニネベと真逆の方向にあります。ヨナは神様からの命令を無視して、神様の御前からさえも逃げようとしたのです。

 しかし、ヨナの乗った船は途中で激しい嵐に遭ってしまいます。ヨナはこの嵐は自分のゆえに起きていること、預言者でありながら神の使命を拒絶し神の前から逃亡を図ろうとした自分に対する罰として神が嵐を与えたであろうことを悟り、彼はこの罰を受け入れる覚悟をします。それで、船員たちに自分を海に投げ入れるように言います。そうすれば嵐は収まるだろうと。それで船員たちは覚悟を決めてヨナを海に投げ出したのです。すると、ヨナが言った通り、嵐は静まり、異邦人の船員たちは神を恐れて主に生贄をささげ、誓願をたてました。
 
 ヨナは凄まじい嵐の中で死を覚悟して海に投げ入れられました。しかし、神はヨナのために大きな魚を備えて海に投げ出されたヨナを飲み込ませ、彼の命を助けたのです。ヨナは魚の腹の中で神が自分の命を魚によって助けて下さった事を知り、神の憐れみ深さに感謝を捧げます。そして主は三日の後に魚にヨナを吐き出させました。

 神は魚の腹の中から出てきたヨナに対してもう一度同じ命令を与えます。ヨナは神から与えられた二回目のチャンスを受け入れ、今度は言われた通りにニネベへと向かいます。

 ヨナはついにニネベにたどり着きます。アッシリアの首都であるニネベは非常に大きな街で、歩いて行き巡るのに3日かかるほど大きな街であったと書かれています。ヨナは街についてすぐに神から与えらえた言葉を叫びます。「もう40日すると、ニネベは滅ぼされる。」ヨナがこのメッセージを1日中叫んで歩き回った時、そのメッセージに対するニネベの街の人々の応答は劇的なものでした。ヨナのメッセージはニネベの街全体を駆け巡り、ついには街の中枢、王の耳にまで届いたのです。そして、すべての市民が家畜に至るまでも神の前にへりくだって断食して赦しを請って祈るようにとの命令が出され、ニネベのすべての人々は神の前に立ち返ったのです。ヨナが神に従って事をなした時、異邦人の街であるニネベに大リバイバルが起きたのです。

 ヨナは異邦人の街で奇跡を目の当たりにしました。ヨナは飛び上がって喜んだでしょうか。いいえ。聖書を読むと彼は激しく怒ったと書いてあります。そして4章に来て、ヨナのニネベの人々に対する本心が明らかになります。彼は、神様に対して怒って、ニネベの街がそこに住む人々共々滅びてしまえばいいのにと言い、「もう私を殺してください。こんなことになるくらいだったら私は死んだ方がマシです。」とまで言います。
 
 主は怒って祈るヨナに対して、「あなたの怒りは当然のことだろうか」と優しく語りかけました。しかし、ヨナはその語りかけを無視して街全体が見渡せる所に行って、簡素な小屋を作ります。そして、そこからニネベが滅びるのを見ようとします。そこで神様はヨナのために1日のうちにとうごまの木を生えさせます。ヨナはこの木の木陰で涼しく過ごせることを非常に喜びました。しかし、神は1日の後に虫を送り、この木を枯れさせてしまいました。木陰がなくなり、強い日差しだけでなく、東から吹いてくる熱風にも襲われてヨナは再び神の前に怒り始めます。今度は、神がとうごまの木を彼から奪ったことに対して怒るのです。神はそのようなヨナに対して再び語りかけます。「お前の怒りは当然のことだろうか」と。その語りかけに対してヨナは即座に答えます。「私があなたに対して怒るのは当たり前のことだ。私はあなたに対して死ぬほど怒っている。」と言うのです。しかし、神はこのように言うヨナを諭すように優しく語りかけます。「あなたは自分で育てないで一夜にして生えてきたとうごまの木を失ったと言ってそれほど怒るじゃないか。同じ様に私はあなたが自分で育てなかったとうごまの木を惜しむ以上にニネベに住む人々の命を惜しんでいるんだよ。そこには右も左もわからず彷徨っている大勢の人々が住んでいるのだから。」と語りかけるところでこの物語は終わります。

 このストーリーをざっと辿るだけで、ヨナが様々な問題を抱えていたことが見えてきます。それではヨナは一体どのような問題を抱えていたのでしょうか。

 ヨナの抱えていた問題の最も大きいものは彼が間違った神学を固持していた事です。彼は神様ご自身について、神がどの様なお方か間違った理解をしていました。彼は天地を創造された唯一の神は私たちイスラエル民族にだけ愛と恵みと憐れみを注いで下さる。ところが、ニネベにおいてその理解を覆す出来事が起きてしまいました。異邦人の街、それもよりによってイスラエルの敵国の人々に神は憐れみを注いで彼らを救われたという出来事です。これはヨナには断じて受け入れることが出来ない出来事だったのです。だから、ヨナはあれ程までに神に対して抗議をしたのです。しかし、神様の狙いはここにありました。それは、ヨナの間違った神学を正すことがヨナをニネベに遣わした目的の一つでもあったのです。

 ヨナの間違った神学は、神に対する不信の心を導きました。彼はそのことによって神への信頼を失ってしまいました。私たちの心の内に神様に対する間違った考え方があるとき、私たちは神が正しいことを為さるのを見て、私たちは勝手に神様に対して不信感を持つようになり、怒りさえも覚えるようになるのです。
 
 神様はそんなヨナに対して、繰り返し自分自身の心を吟味するようにと優しく語りかけておられます。しかし、ヨナはその勧告を頑として受け入れようとはしませんでした。彼は、繰り返し神様に対して自分の怒りの正当性を申し立てるのです。ヨナは自分が正当性を固持し、神様からの優しい勧告さえも受け入れる事ができなくなっていました。これがヨナ書4章においてヨナの抱えていた問題です。

 そのような深い愛を持ってヨナに語りかけ、ヨナを取り扱っている神様は4章において2回、とても印象的な語りかけをしておられることに気がつきます。それは、4:4と4:9に出てくる語りかけです。それは、「あなたは当然のことのように起こるのか?」という語りかけです。この一連の出来事を通して、ヨナは彼の心の内にある問題、弱さ、未熟さが表に出てくることを経験しました。神はこの時、ヨナに対して自分自身の心の内を省みて、神ご自身との関係の中でこれが取り扱われるように導ことしておられたのです。そして、それこそがヨナにとって必要なことでした。

 ヨナは特別に問題を多く抱えた人物だったのでしょうか。いいえ。確かに彼の心の内には神様によって取り扱われるべき問題や弱さがありました。しかし、それは私たちも同じではないでしょうか。神様はそれぞれに与えられた人生の中で私たちをヨナと同じ様に取り扱われます。伝道者の書7:13-14には、私たちの人生には順境の日も逆境の日も等しくやってくることが書かれています。順境の日とは、すべてが上手くいっているような平穏で穏やかな日のことを表します。逆境の日とは、問題の嵐が吹き荒れる、試練の時を表します。伝道者は、神は私たちの人生において順境の日も逆境の日も与えられるという人生における普遍的な真理を言い表しています。それは、私たちのコントロールの外にある事なのです。だから、「順境の日には何も思い煩わずに素直に喜び楽しめ」と言い、「逆境の日には反省せよ」と言います。この「反省せよ」という言葉は、あまり良い訳ではないと思います。違う言い方をするなら、逆境の日にはそれを受け入れよという意味です。

 私たちは困難な経験の中にいるときに、なぜそれが起きたのかを決して理解することが出来ない嵐のような状況の中で、「なぜ」と思ってしまいます。その時、私たちは自分の心のうちに抱えている問題、弱さ、未熟さが溢れてくることを経験します。時にはあまりに理不尽だと感じる状況のゆえにヨナのように神様に対して不平をぶちまけ、神様に対する抗議の祈りをあげることもあるでしょう。しかし、神様はこの逆境の日にこそ私たちの心を取り扱われる方です。

●そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。(ヘブル 12:5-7)

 問題の中で、試練の中で私たちは葛藤します。自分が正しいと信じていた事がひっくり返される状況を見て、「なぜ、こんなことが起きるのですか!?」と祈り悶えます。しかし、そのような時に神様は私たちに対して、「あなたはそれを当然のように怒るのか?」と、自分自身の心を吟味するようにと柔和に促しを与えておられることを覚える必要があります。自分の言い分を脇に置いて、神ご自身に、御言葉に心と目を留めて、問いかけるのです。「私は自分にこそ正当性があると思っているが、それは本当だろうか?」「神様はこの状況を通して私に一体何を教えようとしているのだろうか?」と。

 私たちはそれぞれに違う問題や弱さを抱えています。ヨナは間違った神学という問題を抱えていていました。しかし、逆境の中でそれぞれの問題が正しく取り扱われるためには、自分の心の底から溢れ出てくる言い訳、言い分、主張を脇に置いて自分自身を吟味する必要がありました。これは現実にはとても根気のいる難しい作業です。たくさんの葛藤を覚えます。しかし、私たちが主の前に葛藤し、悩み苦しみながら叫んで祈り、もがく時、主は私たちから遠くに離れてはいません。また、私たちに対して、「そんな風だからあなたは駄目なんだ」と叱責を加えられることもしません。ヨナ書全体を通して神様が寛容で忍耐深く、柔和な態度でヨナに接しているように、私たちに対しても同じ態度でいてくださいます。

 私たちはこのようなプロセスを経て、私たちの内にあるヨナと同じ心を取り扱う必要があります。ちょうど、ヨナ書の中で大きな魚が神に言われたヨナを吐き出したように、私たちも神様の導きの中でヨナの心を私たちの内から外へ吐き出すのです。その時、私たちは痛みを経てより主の望まれる者へと成長することができます。

 2015年11月14日更新

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