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「他の人を引き上げたい」

- 2015年12月6日 -

講師:水野 明廣 師
聖書箇所:Uコリント5:16

「ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」

@イエス様に信頼する人は決してつまづかない
A祝福の人生を生きる人は人間的な標準で人を見ない、躓かない
B人と比べず、人を自分より勝っている存在と認めて生きる

 他の人を、立上げる・引き上げる。これは祝福の人生の生き方です。祝福の人生とは、自分が祝福されているだけでなく人を祝福するために祝福することです。人を成功させる人が本物の成功者です。私たちの主と仰いでるイエス様は皆さんにとってどんなお方ですか?人と交わる時に皆さんは人をどのように見ていますか?つまり、神様とどういう関係で実生活にその神様に対してどのように生きているのかという事を問いかけています。この生き方次第であなたは祝福の恵を経験していけるのか、それとも自分本位で自分の考えだけで自分中心で生きる生涯で終わるのかという事です。羊飼いであるイエス様についていくならば決して憂ることはありません。

●わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。(ヨハネ6:44)

 偉大なすべてを創られた神様が礼拝に引き寄せて下さることはとても凄いことだと思います。日本の国では特別凄い事だと思います。人間の価値は、そのひとの働きによって決まるという。人は言葉には出しませんが私たちはそういう価値感で見られたり、そういう価値感で自分を見つめ人を見るのです。本当は間違っています。私たちは、ちょっと自分が弱くなったり病気になったりすると途端に自己憐憫に入っていきます。神様は、そういう見方をしていません。イエス様はあなたが愛おしいのです。全世界、全宇宙を創られた偉大な方が命がけで私を愛しています。人がどう言おうと、人はあなたが何ができるからとか、やれるから、やっているから、主はそういう事であなたを評価されません。世の中は、逆です。

 人間は誰からも愛されていなければならないという事は、ありえません。誰からも愛されていないと何か心が落ち着かない、人から喜ばれない、人から認められないと人依存症になっていってしまいます。

 人間的な常識的過ちは「私の不幸はあの人のせい」「私の悲しみはあの人のせい」これは絶対私たちは捨てるべきです。私たちは主にあってすべてに勝ってあまりあるのです。パウロは、キリストの為に生きていると言っています。人間の価値は、その人の業績や働きからくるのではありません。どんな状況にあっても主に心を向け私を愛されているすべてを創られた神が私を喜んでいてくださっています。

 キリストにあって新しく創られたものとして全く新しい生き方をする。こういう生き方をするということにおいてパウロは、私たちは初めて祝福された恵として人を引き上げることができると言っています。

 この社会では人を引っ張り下ろす方、自分だけが引き上げられる方にいっていますが人の子が来たのは人に仕えられる為、仕える為、主から偉大なと言われる人生を選んで下さい。主は皆さんをかけがえのない大切なものとされています。

2015年12月12日更新

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