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「神の民」

- 2017年7月23日 -

講師:竹田 亮一 師
聖書箇所 Uコリント 4:3-6

「それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。 『光が、やみの中から輝き出よ。』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。」

1.「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」
 私たちは「福音がこんなに素晴らしいのだから、受け入れなさい」と勧めます。しかし、相手の方にとって、今までの考えの外側にあるものを受け入れることは難しいということを考慮しなければなりません。神様が光をさしてくださらなければ、福音はなかなか分かりません。では、どうしたらいいのでしょうか?「祈る」ことが大切です。

●「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」(エペソ 1:17)

2.教会とは何でしょうか?
 私たちが祝福された生活をするために教会があるのでしょうか?自分が属している教会だけが栄えれば良いのでしょうか?私たちは、いつの間にか、自分中心で教会を考えるようになってしまっています。その考えを、神を中心とした考え方に入れ替えなければならないのではないかと思います。教会は神様の喜びのためにあります。私たちが共に集まる時、一番喜ぶのは神様です。なぜなら、私たちは「神の民」だから、です。

3.「神の民」とは?

●「わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる」(出エジプト 6:7)

●「今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。」(出エジプト 19:5)

 神様は、出エジプト記ではっきりと、イスラエルの民に「わたしの民」「わたしの宝」と語られました。神様は、私たちを神の子供として、共におられるために造られました。しかし、そこに罪が入って来たため、子供たちは神様から去らねばなりませんでした。神様が「わたしの宝」と言っているのは、「もう、2度とあなたがたを私の身から離さない」「それほど、あなたがたが大切なのだ」ということなのです。

●「わたしは彼をわたしのために地にまき散らし、『愛されない者』を愛し、『わたしの民でない者』を、『あなたはわたしの民』と言う」(ホセア 2:23)

 「わたしの民」には間違いなく、異邦人も含められています。私たちは「神の民」です。神様は自分の民を奪うものに対して非常な怒りを覚えられます。その怒りがあるからこそ、奪われた子供を取り戻すため、十字架という大変な犠牲を払いました。

4.「神の民」である安心感、確信

 「私は神の子だ」という安心はありますか?「私は神に造られたもの」という確信はありますか?

●「それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。」(詩篇 139:13-14)

 ここでダビデが言うように、「私の魂がそのことをよく知っています」と言えますか? 科学で証明される以上の真理を魂が知っているということです。「私は神によって造られた」という確信があることがクリスチャンの一番大切な土台です。

5.「神の民」の自由
 「神の民」である私たちは、等しく神様にとって大切なものであり、お互いの間に格差・差別はありません。

●「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」(ガラテヤ 3:28)

6.神の主権
 神様を中心とする、神様に全ての主権があることを受け入れ、神様に人生の全てのことを明け渡す、ということに躊躇を感じたりするかもしれません。そのような時は、神の定義に戻ってみてください。神様はどういうお方でしょうか?神様は愛です。神=愛です。神様は愛という枠の外では何もできません。そのことを理解した時、神様を中心にすることを恐れなくなります。

7.私たちの目的地

●「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」(エペソ 1:5-6)

 この御言葉の中の「あらかじめ定める」に使われているギリシヤ語は、「行き先」という意味を持っています。私たちの行き先は、「神の恵みの栄光が、ほめたたえられる」ことです。

●「私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。 それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。」(エペソ 1:11-12)

 ここにも「あらかじめ定める」が使われています。目的地は、12節の「神の栄光をほめたたえる者となる」です。

 「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」によって、主の栄光を見ることができますように。主が私たちを、続けて神様を求める者としてくださいますように。

2017年8月8日更新

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