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「私たちの憐み深い大祭司神の子イエス」

- 2017年8月6日 -

講師:神戸 聖志 師
聖書箇所 へブル 4:14-16

「 さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」

 私たちは聖書の御言葉から神様がどのようなお方であるかについて多くの知識を持っています。神は愛である、神は義である。これらのことを知っていることは大切なことです。しかし、神様についての知識がすぐに実際の信仰生活に何らかの影響を与えるわけではありません。私たちの信仰生活に直接影響を与えるのは、神様についてどれだけの知識を持っているかではなく、私たちが神様についてどのようなイメージを持っているのかという事です。この神様に対するイメージ、神観は私たちの生きている社会の文化や経験など様々なものから影響を受けて私たちの内で作り上げられています。
 
 皆さんの内にある神様のイメージはどのようなものでしょうか。そのイメージは皆さん自身が実感として持っている神様というお方の理解です。そして、皆さんの心の内にある神観が皆さんの実際の信仰生活の在り方、信仰の歩みに直接的な影響を与えているのです。だから、私たちは自分の内にある神観を聖書が教えているものと同じものへと変えていく必要があるのです。

 では、私たちが持つべき、神観とはどのようなものなのでしょうか。そのことをヘブル4:14-16を通して見ていきたいと思います。

 ヘブル4:14を見ると、そこには「もろもろの天を通過された偉大な祭司神の子イエスは私たちに与えられた方である」と書かれています。大祭司イエスが私たちに与えられているとはどういう意味でしょうか。

 ヘブル2:11-14には、本来遠い存在であるはずの神が私たちの近くまで降って来て下さった事が別の言い方で書かれています。イエス様は私たちのことを「兄弟・姉妹」と呼ぶことを恥とされなかったと書かれているのです。神であるイエス様が私たちの「兄弟・姉妹」となって下さった。神のひとり子、神の御子である方が罪の下に生まれた私たちの兄弟となることを恥とは思われなかった。私たちクリスチャンは神の御子である方を「兄」と呼ぶことが出来る。御子もそれを恥としておられないと言うのです。

 また、14節の前半を見るとこの方は私たちと同じような者となって下さったと書かれいます。人間よりも遥かに優れた存在である神が、それよりも遥かに劣った存在である人間と同じ者になるため、天から降りて来て下さった。これらの御言葉は神がどれほど私たち人間に対して強い関心を持っているかを表しています。

 神様は文字どおりご自分のひとり子を私たちと同じ肉体を持った人間として私たちのために与えて下さる程、私たちの事を強く心にかけていてくださっているお方なのです。

 さらに、神様が私たちの事をどれほど強く心にかけて下さっているかを表す事実がヘブル 2:17-18、4:15を見ると書かれています。

 私たちはともするとイエス様が神の御子であるという事実の故に、荒野においてサタンから誘惑を受けたときも(ルカ4:1-13)、十字架への道に従っていく時においても、何の葛藤もなく、涼しい顔をして全てを完全に乗り切ったかのように考えてしまいます。しかし、ヘブル書の記者はこの箇所において、イエス様は私たちと同じように、誘惑を受け、試みを受けられた時には弱さを体験し、圧迫と苦しみを体験されたのだと言います。

 神様はただ、人間となって私たちの所まで降りて来て下さっただけでなく、私たちが抱えている弱さを同じように体験し、私たちが直面する弱さと苦しみを理解してくださるのです。主はご自分も試練の中で私たちと同じ苦しみを体験してくださった。弱さの苦しみを苦しんで下さったという意味です。しかし、弱さを抱えて苦しまれたにも関わらず、「罪を犯さ」れませんでした。罪を犯さなかった故に私たちの大祭司イエス様は私たちの弱さを理解し、さらに弱さの中で生きている私たちを助けることが出来るのです。

 ヘブル書のこのメッセージを語ったメッセンジャーは私たちの大祭司は私たちの弱さを理解し、憐れみを注いでくださるお方だと言います。しかし、「だからあなた方はありのままで、弱さの故に躓いたままでも大丈夫だ」とは言いません。むしろ、この大祭司は弱さの中で歩んでいる私たちを心から憐れんでくださっているので、私たちが弱さを抱えながらも勝利を得て歩むことができるために必要な助けを与えようと準備していくださっているのだと語ります。

ヘブル 4:16
「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」

 イエス・キリストによる救いを受け取っている私たちクリスチャンは、キリストが捧げて下さった犠牲の故に、大胆に恵みの御座に近づく事が出来る。自由に何の遠慮をすることなくいつでも私たちはイエス様が座しておられる御座の前に出ていくことが許されているのです。私たちが信じ、信頼をおいている神は、いつも私たちに関心を払っており、私たちの弱さを理解してくださり、私たちが弱さの中にあっても勝利を得るために必要な助けを与えてくださる、憐れみ深い大祭司です。私たちはますます、憐れみ深い私たちの大祭司であるイエス・キリストに目を向けて私たちの信仰をしっかりと保って歩むものとなりたいと願います。

2017年8月26日更新

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