〜究極の人命救助Christmas〜

 

『そんなはずはない! 確かこの方向・・・』

 降り続ける雪が視界を遮り、夜の深さが不安の世界を拡げてゆく。
  友人宅への訪問途上、頭の中の磁石が狂い始めた。再発した突発性方向音痴症と正面きって向き合う日がカナダ到着早々こんなに早く実現するとは・・・。方角や地理に関して動物的感覚のある妻は日本滞在中だし、手書きの地図も現在地がわからなくなった今ではあまり役に立たないし・・・。
  その日に限って携帯電話も不携帯電話状態。動けば動くほど、現在位置が確認できなくなってしまった。夜の底と静寂、そして見る見るうちに景色を塗り替えてゆく雪が焦燥感を募らせてゆく。昨日の友人の電話がまだ耳に残る・・・「超新鮮なサンマが手に入ったから明日の晩、是非!」
  そして今朝、昨晩から取り付かれるように降り続けている雪は全く衰える気配を見せない。そんな外の景色を否定するかのように大声を発した。「えぇーい、久しぶりのサンマや、行ったろうやないかい!」雪に慣れない九州人も、勢い付けるため関西弁で自身を鼓舞し、闇と白銀が交錯する世界へ出掛けて行った。
  「次が右折の重要ポイント!」握るハンドルに力が入る。しかし、折からの雪で、標識がことごとく雪パックされている。しばらく走って、地図にも載っていない側道らしきところへ出てしまったようだ。

「サンマのことばかり考えてるから注意サンマん!」

 なんて、最初はまだ余裕があった。雪はそんなおやじギャグを逆手にあざ笑うかのように猛烈に車に迫ってくる。車のライトを上向きにしても全く道の見当がつかなくなってしまっていた。容赦なく時間は過ぎてゆく。室内のマイナス18度を示す温度計と、最低ライン近くにまで迫った燃料計が、焦りと共に様々な思いを産み出してくる。特に悲観的思いに関しては、スーパーコンピューター並みの働きを示す想像力が、次のようなニューステロップを頭の中に流し出した。「赴任早々の日本人牧師、サンマパーティ途上での無念の召天! あわれ! 」
  このテロップは時間と共に、より鮮明にハイビジョンになって流れ続けていた。『朝、明るくなれば何とかなる・・・。明日と言う字は「明るい日」と書くではないか・・・ハ・ハ・ハ』笑いに元気がないが、やっと牧師的な表現が出てきた。万が一のために車内に用意していた毛布を体に巻きつけて、燃料節約のため、数十分おきにエンジンを切ったり点けたりし始めた。
  焦っても仕方がない、祈ろう。目を閉じた・・・暗闇の中に白い雪が舞っている光景・・・やがて雪が銀色に・・・そしてそれらが何と、ぎらぎらと光って群れをなす無数のサンマに・・・。「いかんいかん夕食を当てにして昼食までも抜かしたもんだから・・・全く、性格もサンマい目(三枚目)や」
  祈りならぬ祈りを続けてどれ位経ったであろうか、
  「コツコツ!」
  窓のほうを振り向いた。雪で見えない。急いで窓ガラスを下ろすと、「こんなはずれで何してるの?」の声と同時に、白い息の向こうから笑顔が現れた。お世話になっているカナダ人牧師であった。彼は集会からの遅い帰り道で、普段あまり町の人が通らない近道を通っていたら、見慣れた印の車があって、しかも、風のおかげでその印周辺の雪が落ちていて、気づいたとのことだった。
  サンマは逃したけれど、このカナダ人牧師のおかげで命拾いした。また、彼には貴重な人命救助の体験を提供した日となった。

こんな私も、忘れられない人命救助の体験がある。

 その日、日本の雨季、田んぼは先週から降り続く大雨で水が溢れ、用水路の水は生き物のようにその流れを変えていた。
  私はいつものように、教会での手伝いをすべく朝飛び起きた・・・つもりだった。しかし、体が言うことをきかない。体温計は39度をさし、身体が休養を要求していた。夏風邪をこじらせたらしい。
  祈って薬を飲み、ほんの10数分休んでみた。
  すると、若い(つもり)って素晴らしい。かなり元気を回復してきた。「行かねば」という思いも回復を早めたに違いない。三枚目でも、責任感は二枚目(かな)。
  約束に一時間遅れのバスに飛び乗り、いつもとは違う近道の田んぼのあぜ道を急ぎ足で歩いていた。 
  雨は止んでいたが、増水して勢いよく流れている用水路の水の音が、遅れを取り戻そうと急いでいる心をさらにあおってくる。

そのとき、背後から何か声がしたようだった。

 「誰?」と振り向くも誰もいない。向き直って行こうとしたら、また同じ声。その弱々しい声に、背筋が凍りついた。丑三つ時(著者注:うしみつどき=午前2時から2時半、よく幽霊が出る時間として有名)でもないのに・・・。
  振り返り、今度は下を見た。うっそうと繁った雑草に視線を送り、それが自分の足元に移ったとき、そこに人間の腕が・・・。剣豪武蔵も仰天するくらいのジャンプをした。背筋が凍りつくどころか、体中、もはやスケートリンクにでもなったようだ。
  激しい流れの音の中から、弱々しいながらも今度はさっきよりもはっきりとした声で「おじさん、助けて〜!」と。一瞬、『おにいさんと言いなさい』という思いが出そうだが、そんな余裕なんかなく、こちらも無我夢中で、草にしがみついている小学1年生くらいの男の子を水の中から必死の思いで引き上げた。
  その男の子は、かなり消耗しているようだった。でも、しばらく休むうちに彼は、一言二言話し出した。彼は雨が上がった昼から一人で遊んでいて、流された靴を拾おうとして滑り落ちた。かなり流された後、必至に草にしがみついていたようで、たまたまそこを通り過ぎた私に助けを求めたようだった。
  もう少し早過ぎても遅すぎても、そして、自分の通る道が違えば・・・、さらに、今回急に熱を出したことなどの偶然が、本当に不思議でならなかった。さて、その子の家での母親の驚きと喜びは言葉では表現できないほどであった。
  教会での手伝いを思い出した私は、「それでは急ぎの用がありますので、これで失礼させていただきます」と一礼をして玄関に向かおうとすると、男の子のお母さんが私を呼び止めて言った。「あの、お名前だけでも・・・」。
  私はとっさに答えた。「いえ、名乗るほどの者ではございません」やはり、サンマい目のセリフだったかな。
 

本当の人命救助をしたのがイエス・キリスト

 以上も実話ですが、もっと素晴らしい本当の人命救助を実行されたお方の誕生をお祝いするのがこのクリスマス。神のひとり子が、何と人間と同じ姿イエス・キリストとなってこの地上に降りて来てくださった。しかも貧しい馬小屋の飼い葉おけの中に・・・というところが、私たち人間の誕生と違うところ。 
 新約聖書の中に、聖書中の聖書のことばとして有名な『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世(私たちひとりひとり)を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである』(ヨハネによる福音書3章16節)が示してくれるように、万物を造り、私達を作られた神様は、人生の様々な「夜」、すなわち不安という「夜」、罪という「夜」、そして誰もが通る死という「夜」に勝利し、見事に輝く「朝」を提供するために、最も大切なひとり子イエス・キリストをプレゼントされ、私達に愛を示してくださいました。そこに、このクリスマスの本当の意味があります。今の時代は、利用価値、商品価値、学歴や偏差値が高いなど、そんな価値を持っている人たちが生き易い社会となっているようです。
 しかし、歴史に介入された神様は、私達ひとりひとりに対して「わたし(神様)の目には、あなたは高価で尊い」と言ってくださるお方です。
 クリスマスの真の意味は、私たち人間の命を亡びの世界から永遠の世界に救助しようとして、そのための最高のプレゼント=イエス・キリストをくださった日です。そして神様は私たちが、その喜びをもってあなたの隣り人を愛し、赦し、受け入れ合ってゆくことを望んでおられます。
 是非、この時期、素晴らしい本当のクリスマスの世界をひとりでも多くの方に知っていただきたいと願っています。
 皆様にとって、素晴らしいクリスマスとなりますよう、また、新しい年への航海が最高の輝きに満ちた旅となりますよう、心よりお祈り申し上げます。


 

 一覧  前へ 次へ