小をあなどるなかれ!」
 
 カルガリーの街を歩いていて、嬉しくなることがある。それは、思った以上に武道の道場が多いこと。名前こそ、日本のそれとは異なっているが、こんなにも武道熱があったのかと意外にも思った。道場から漏れてくる気合やその雰囲気が、自然と微動の好きな自分の気持ちを高揚させてくれる。

 スキーやスケートはまるで才能がないことも自他ともに認めたばかり。南国鹿児島出身の私には、やはり剣道ひとすじが合うらしい。ウインタースポーツの才能の無さに失望していた自分を慰めつつ歩いていた自分の目に入ったのは、柔道の道場。ここカナダでも盛んなようだ。

 「バタン、ドタン」
多分、受身をとる音だろう。懐かしい思い出と、思い出したくない思い出が交錯する。でもなぜか、常に後者の思いが勝ってしまう。

 高校生の頃だった。剣道、体操を特技としていたToshiは、現在からは想像できないようなマッチョマンさんだった。時は秋のスポーツ大会、剣道に出るはずの自分に声がかかった。

「すまないが、柔道の主将が捻挫をした、かわりにおまえ出ろ」

「えぇっ!」Toshi絶句、

「大丈夫、おまえの力でねじ伏せちまえ」。周りの仲間も、「そうだ、そうだ、おまえしかいない」と、持ち上げてくる。
すぐに調子に乗ってしまう悪い癖と、No!を言えない軟弱性格。

 「そっかー、やってみるか」。
 ゲンキンな脳の回路が、クラスのヒーローになっている自分の姿を電光石火の如く映像化する。でも、現実にいきなりの黒帯。チームの二人が負け、勝敗は主将同志の決勝戦。

 受身も知らないで、ただ、相手にしがみついて、引き分けに持ち込み、ここまでなんとか勝ち進んできた。悪魔がささやいた、『柔道ってこんなもんだよ。今度の相手を見てごらん、おまえよりひとまわり小さいよ。蹴散らしちゃえよ!』。 

 「ムラナカ(Toshiの名字)かっこええぞー」体育館の2階席までぎっしり埋まった観衆から大声援が飛ぶ。キャーキャー、女性の声援も飛ぶ。全身に気合を入れて、両手を頭上高く挙げて小柄な相手に臨む。その時だった。相手が視界から突如として姿を隠した。

 あれっと思う間も無く、観衆の視線の焦約するその先には大の字に横たわっているToshiのあわれな姿があった。

 見事な一本背負いだった。と同時に、拍手に混じって力の限りのブーイングとヤジ。先程とは一転、「カッコワルー」「あーぁ」の大洪水。

 「穴があったら入りたい」とはこの時のためのことば、しかし、受身をとっていなかったので、呼吸もままならず、みじめにも、先生方に背負われ、ズルズルと戦場を後にしたのだった。

 身をもって、武道の奥の深さ、また、外見だけで判断することの軽薄さを味わった青年期であった。

 よし、カナダで今度こそ花を咲かせてみよう!

 誰ですか、散っちゃうぞーなんて言ってる人は。

・・・ 参考になってしまう聖書の一言 ・・・

 「わきまえのない者は何でも言われたことを信じ、利口な者は自分の歩みをわきまえる。」
(旧約聖書 箴言14:15)

 

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